溺愛しすぎるデスティニー 5-3

麻斗結椛

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 ※ ※ ※



「智秋。あんた、ガッコに荷物置いたまま、どこほっつきあるいてたのさ」

 智秋の帰宅時刻は、深夜零時近かった。
 高校生が連絡もなく非常識なほど帰りが遅くても、智秋の母親は怒ったりはしない。
 真面目な智秋は、こんな時間に帰宅したことはなく、もっと心配してもいいはずなのに。
 本当に彼女は、智秋に関心がない。

「鞄、亜泉って子が届けてくれたけど、あいつ、ベータ?」
「そうだけど……それが何?」
「あんたの男じゃないだろうね」
「!」

 智秋は絶句した。
 何年親子をやっていても、この人の考えだけは、智秋にはどうしても理解できない。

「智秋。ベータは絶対だめだよ。あいつらはクズだ。オメガをアルファ以上にバカにしやがるくせに、本当はオメガが気になって仕方がなくて、だけど、指を咥えて見ていることしか出来ない、腑抜けヤロウだ。ベータの子どもなんか孕んだら承知しないからね。愚かで醜いガキしか生まれないんだから」 

 耳を塞ぎたくなるほどの、ベータの悪口オンパレードだ。

「あ、亜泉は、そんなんじゃない。あいつは、高校に入ってからの親友で……」
「信用できないね。あんた最近色気が出てるから、ベータでも油断できない……。おや?」

 母親が智秋に向き合い、顎に手をかけて、くいっと上にあげられた。
 二人の身長は、ほぼ同じだ。
 母親が智秋の首元を覗き込む。

「だれとヤッテきたの?」
「え?」
「キスマ、ついてる」
「うそっ……」

 智秋は首筋を手のひらでさっと隠す。

「それにさっきから、なーんか臭いと思ってたんだよねえ」

 智秋の身体は、自分と北園の汗と精液で汚れている。
 拭いてはきたが、それくらいでは匂いは取れないのだ。
 きっとさっき乗ったタクシー運転手は、智秋のこの匂いを嗅いであばずれだと思ったに違いない。

「あ、あのさ、母さん!」 

 智秋は父親の顔を知らない。知っているのは既婚者ゆえに結婚できなかったことだけ。 
 もしかしたら、自分はレイプされて出来た子じゃないか。
 密かにそう思っている。だからこんなにも疎まれているのだと。

 だが同じ苦しみを味わった母親なら、辛くてやりきれない気持ちを理解してくれるかもしれない。

「お、俺、お、学校の、アルファに、むりやり犯されたんだ……っ」

 絞り出すような告白。

「相手は誰?」
「……北園って奴」 

 自分によく似た顔が、北園の名前を聞いた途端、ぱあっとほころぶ様子に、智秋ははげしく戸惑う。
 息子がアルファに陵辱されたのに、なぜ彼女は喜ぶのか。

「妊娠したかも……しれない……どうしよう……」

 基本的にアルファは避妊しない。
 彼らにとってセックスは快楽を求める手段である以上に、子孫を残す意味合いが強い。
 智秋は何度中出しされただろうか。
 回数を数える余裕もなかったから、分かるはずもないのだが。

「確かあんたの学校には、株式会社キタゾノっていう大企業の息子が通ってるはずだ。智秋、よくそんな上玉のアルファ、見つけてきたね! 見直したよ!」
「え……?」

 もしも宇宙人がいるなら、彼らとはまず言葉が通じない。だがなんとか互いに理解しあおうと努力はするだろう。
 だが母親の場合、智秋は必死に言いたいことを伝えて、助けを求めているのに、彼女の耳に届いているかあやしいほど、会話が成立しないのだ。
 智秋が折れて、彼女の言い分を納得したくても、到底受け入れることができないことばかり。
 母親と智秋は、意思の疎通がまるではかれない。

(上玉のアルファ? 見直した?)
  
「母さん、それ、本気で言ってる?」
「あたりまえだろ。だいたい、私は最近の春海には失望してるんだ。あの子ったら、南条さんっていう超上玉のアルファに取り入ったのにもかかわらず、いつまでたっても番にしてもらえないし、子どもも生まれないし、あの子、不妊体質なのかね? まったく不甲斐ないったらありゃしない。だけどまさか全く期待してなかったあんたが、南条さんにも劣らない金持ちのアルファに見初められるなんて! あー、うれしいねえ! 私の子育ては間違ってなかったんだ!」




 気がつくと、智秋は一人で玄関に立ちすくんでいた。
 右手が千円札を握りしめていることに、気付く。
 
(ああ。母さんが、これで夕飯を買って食べろって、無理やり握らせたんだっけ)

 しわしわになったお札を見ながら、ぼんやりと母親の言葉が脳裏に蘇る。

 昼から何も食べていないが、空腹はぜんぜん感じない。
 陵辱された後、普通に食事ができるはずがないのだ。
 よれた千円札は、かさりと足元に落ちた。

 やはり母親は宇宙人だった。
 互いに分かり合う言葉が、どうしても見つけられない。
 どこに犯されたことを見初められたと変換する親がいるのだろうか。

(ああ、すぐ近くにいる。俺の母親がそうか……)

 母親は祝杯をあげてくると、一人飲みに出かけた。
 きっと帰りは明け方だろう。そんなどうでもいいことを思う。

 智秋は力なく玄関にしゃがんだ。もう一歩も動く気力も体力も、ない。

(兄ちゃん、俺だけ……どうして……こんな目にあうんだ……?)
 
 春海だって、高校生の時、犯されかけた。
 だがその時彼を助けたのは、春海の恋人、清史郎だ。

 愛する人に救われた春海と、誰にも助けてもらえなかった智秋。

 この差は何なのか。
 窮地を救われないほど、酷い罰を受けなければならないほど、智秋は悪い子なのか。

「あはは……」

 乾いた笑い声とともに、頬に滂沱の涙が溢れる。

 春海は昨日から出張だ。
 期間は一週間。清史郎の海外視察に同行している。

(兄ちゃんは、今、清史郎さんと仲良くやってるんだろうなあ……)

 智秋がレイプされたことも知らずに。

「怖い……」

 ふいに誰もいない荒野に捨てられたような心細さに襲われ、震えた。
 あらゆることが、怖くてたまらない。
 オメガゆえに向けられる、不躾な欲望。
 心は抗うのに、自制出来ない性衝動。
 そして一番の恐怖は、妊娠の可能性。

 アルファとオメガの情交後、妊娠確率はかなり高い。
 だから母親はセックスの報告だけで、妊娠したと大喜びしている。

 反吐が出るほど憎い北園の子どもなど、絶対生みたくない。
 だがオメガの堕胎は法律で禁じられている。

「……ああ、そうか。俺が、死ねば、いいのか」

 悩むことなく、答えは意外とすんなり見つかった。

 智秋は這いつくばって自室に行き、春海の机引き出しから、カッターを取り出す。
 切れ味の悪そうな、鈍い色だ。
 それを躊躇なく左手首にあてて、すうっと引いた。
 刃を添わせたラインに沿って、白い皮膚から血が滲む。
 思ったより切れて、智秋はほっとした。
 痛みは感じない。
 流れる血をぼうっと眺めていて、気がついた。

(これじゃ、いつまでたっても、死ねないや)

 風呂場に行き、空の湯船に水を張る。
 水が貯まるまでの間、暇つぶしの手遊びのように、再び手首に刃を何度もはわす。

 何本も流れる血筋を、陶然と見つめた。
 もうすぐ死ねる。
 そう思うと嬉しくて笑みが零れた。

 半分ほど溜まった湯船の水に手首をつけると、血の赤が、水に滲んでいく。

(きれい……。絵の具を溶かしたみたいだ。兄ちゃんと一緒に色水作るの、好きだったなあ)

 小学生の頃、ジャムの空き瓶に色水を作る遊びが、智秋はお気に入りだったことを、ふと思い出す。

(あの当時、兄ちゃんは中学生で、あんな子どもっぽい遊び、ぜんぜん興味がなかったはずなのに、文句ひとつ言わないで付き合ってくれたっけ。本当に兄ちゃんは優しいなあ。兄ちゃん、俺のこと、大好きだもんな。だからきっと俺が先に死んだら、泣いちゃうよね。兄ちゃん、ごめん。でも、絶対に北園のガキなんか絶対に生みたくないんだ……)

 次第に、水の冷たさと気温の低さは、容赦なく、体力のない智秋から体温を奪っていく。

(やっぱり、お湯にしとけばよかった。寒いなあ。そういえば、北園にヤラれた後、そのままだ。汚いまんま、死にたくないなあ。死ぬ前に、あったかいお風呂入りたかった……)

 智秋の視界はゆっくり狭まり、意識は穏やかに暗闇に落ちていった。



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Posted by麻斗結椛