溺愛しすぎるデスティニー 6-2

麻斗結椛

-
 三学期。
 高校生活、最後の数ヶ月だというのに、智秋は不登校から抜け出せない。
 理由は、発情期の発症を恐れるあまり、強力な薬を服用し続けて、起き上がれないほど体調が悪くなったからだ。

「智秋くん、発情期が怖いのは分かるけど、こんな調子じゃ、いつまでたっても復学できないよ」

 医者の説得に、智秋は腹は立たない。
 程よい距離感。口ほどには心配していないのが分かるから、さらりと聞き流せる。

「……分かりました」
 
 確かに体調が優れないのは、さすがにきつかった。
 医者の言うことを聞いて、少しだけ効き目の弱い薬に変えてもらう。
 数日後には少し復調するが、すでに智秋は学校へ行く勇気をすっかり失っていた。
 せっかく合格した専門学校。通える自信がなくて、病気を理由に合格を取り消してもらう。

 そしてレイプされた日以来、一日も学校に行かないまま、智秋は高校を卒業した。
 卒業式は欠席した。
 卒業証書は亜泉が持ってきてくれたが、母親に受け取ってもらい、彼とは顔を合わせなかった。





 何もすることのない、春休み。

 体調と天気が良い日は、午後、ふらりと外出するのが智秋の日課だ。
 キャップを目深に被り、伊達メガネとマスクで顔を隠す。
 他人の視線が怖いから、俯いて歩く。

 家から十五分ほど歩いたところにある河川敷にようやくたどり着いて、ベンチに腰を下ろす。
 ベビーカーを押すお母さん。健康づくりのために姿勢よく歩く高齢者。
 少し離れた遊歩道をのんびりと行き交う彼らを、ぼんやり眺めた。

 しばらくして智秋はぶるっと震えた。
 歩いている時に温まった身体が、じっと座っていたら冷えてしまったようだ。
 三月下旬の花冷えの時期。
 何も考えないで、Tシャツの上にパーカーしか羽織っていない。
 
(そろそろ帰ろうかな)

 そう考えてすぐ否定する。家になんか、帰りたくない。
 だけどあそこしか智秋の戻る場所はないのだ。

 智秋は、行くあてのない、迷子の子供だ。

(俺、これから、どうなるんだろう)

 専門学校だって、本当は行きたかった。
 学校には殆どアルファはいない。
 しかしこの頃の智秋は、男性そのものに恐怖を感じていた。
 圧倒的な力の差を見せつけられて受けた性暴力は、智秋の心に大きな影を落としている。

「寒くないのか」

 突然背後から静かに声をかけられ、飛び上がるほど驚いた。
 立ち上がり、勢いよく振り返ると、数メートル離れた場所に立っている人物に、更に驚いたのは、そこにいたのが、南條清史郎だったからだ。

 革ジャンにダメージジーンズ、そしてライダースシューズという硬派なスタイル。
 スーツでない清史郎は、実年齢に近く見えた。
 それでも威圧感は変わらない。智秋は、無意識に後ずさる。

「そんな薄着で出歩いたら、風邪をひくぞ」
「ち、近寄るな!」

 さくりと一歩、足を進めた清史郎に、智秋が叫ぶと、彼はぴたりと足を止めた。

「分かった。これ以上、近付かないから、怖がらなくていい」

 清史郎は両手を肩まで軽く上げて、降参のポーズをとった。
 その手には、ハードな服装には不似合いな、可愛らしい小さな花束が握られている。

 智秋がレイプされたことを、春海に聞いて知っているのだ。
 当然だろう。清史郎と春海は恋人同士なのだから、すべて筒抜けに違いない。

「ど、どうして、あんた、ここに……」
「昨日、卒業式だったと春海に聞いたから」
「そうだけど……」
「春海がとても行きたがっていたよ」

 春海の名前を聞いて、智秋の胸に、狂おしい気持ちが急にこみ上げてくる。

「あ、あの、兄ちゃんは、一緒じゃ、ないの?」

 智秋は周囲を見渡し、兄を探す。
 見舞いにきた春海を病院から追い返して以来、数ヶ月会っていない。

「いや、俺だけだ。春海の代わりに花束でもと思い、君の家を訪ねようとしたら、君が出てきたので、後を追った」
「そう……」

 わかりやすいほど、智秋は首を落として落胆した。

「俺なんかより春海がいいのはわかっている。がっかりさせてすまなかった。今から春海を呼び出そうか?」
「ううん、いいよ……」

 智秋は首を大きく横に振る。
 同時に漏れるのは、子どものような、切ない嗚咽だった。

「……兄ちゃん……兄ちゃん……」

 いつ帰ってくるのか。
 本当はずっとずっと待っていた。
 だが兄は戻ってこない。
 当然だ。追い出したのは智秋だから。
 
 春海は何も悪くない。
 そんなの、とうに、分かっている。
 智秋は春海に甘えて、やるせない怒りをぶつけた。
 春海はそれを大らかに受け止めて、智秋のいいなりになってくれたのだ。

 去年の夏を思い出す。

『何があっても、僕が側にいることを忘れないでね』

 そうだ。春海はいつだって智秋に寄り添ってくれていた。
 それを忘れ、兄の愛情を無碍にしたのは、智秋の方だ。

 春海が恋しい。会いたい。会いたくて、たまらない。
 罵倒した智秋を、兄は許してくれるだろうか。
 今更、どんな顔をして兄に会えばいいのだろうか。
 切なくて悲しくて、堰を切ったように、ぽろぽろと涙がこぼれる。

「智秋くん……」

 少し離れたところで、清史郎が困ったように立ちすくんでいた。

「あ……すみません。俺、自分から兄ちゃん追い出したくせに、本当は兄ちゃんに会いたくて……」 
「そうか。春海も君に会いたがってる。ぜひ会ってやってほしい」

 清史郎は智秋の涙が収まるのを、辛抱強く待ってくれた。

「あの、清史郎さん」
「なんだ」
「兄ちゃんの近況を、教えてくれませんか……」
「俺がこれ以上側にいても、大丈夫なのか。アルファが怖いんだろう?」
「怖いし、アルファなんて、反吐が出るほど、大嫌いです。でも」

 智秋はベンチの右端に寄って、座りなおす。

「清史郎さんはそこに」と、左端を差す。

「これくらい離れてたら、なんとか堪えられます。でも絶対に俺に近付かないでください」
「分かった」 

 二人は不自然なほど間をあけて座った。

「あの、兄ちゃん、元気ですか」
「ああ」
「本当に?」
「毎日出社している。心配しなくていい」
「そうじゃなくて、ご飯とかちゃんと食べてるのかな」
「おそらく」

 あまりにもそっけない清史郎の受け答えに、智秋は眉根をひそめた。

「……あの、清史郎さんは、兄ちゃんと一緒に暮らしてるんですよね?」

「いや。一緒に暮らしていない」
「うそ……なんで……?」
「……それは」

 てっきり春海は清史郎と同棲していると、智秋は思いこんでいた。

「もしかして、まだ、兄ちゃんを、番にしてないの?」

 清史郎は何も言わない。それが答えだ。

「なあ、なんで兄ちゃんを大事にしてくれないの? あんたみたいな薄情な男に、兄ちゃんはもったいないよ!」
「確かに、春海は俺には本当にもったいないくらい、最高にいい男だ」
「分かってるなら、なんで!」
「春海とは、別れたよ」

 智秋は耳を疑った。

「……いつ?」
「去年の秋だ」
「あ……」

 智秋は春海に吐いた暴言を思い出す。

『じゃあ、清史郎さんを俺が欲しいって言ったら、くれるの?』
『……智秋がそれを願うなら』

「俺の、せいだ……」
「え?」
「兄ちゃんに、清史郎さんをくれって言ったんだ。そうしたら、兄ちゃんはいいよって……」
「いつの話だ?」
「……俺が入院してた時」
「俺たちが別れたのは、その前だ。君のその言葉は関係ないから心配しなくていい」
「え……」

 あの時、春海は既に清史郎と別れていたのだ。
 それを知らない智秋は、春海に酷い言葉を浴びせた上に、清史郎をくれととんでもない我儘を言った。 
 一体、春海は智秋の言葉を、どんな気持ちで聞いていたのだろうか。

「君の兄さんを、そして君を、悲しませて本当にすまない」

 清史郎はそれ以上の弁明をしなかった。

「なあ、兄ちゃんのこと、もう好きじゃないのか? 嫌いになって別れたんじゃないんだろ?」

 別れの理由に、第三者が首を突っ込んではいけないと頭で分かっていても、聞かずにいられなかった。

「俺が、春海ではない人に、好意を抱いてしまったから」

 智秋は思わず、清史郎に掴みかかった。

「てめえ、浮気しやがって、許さねえ!」
「ち、智秋くん、君、俺に触れて……」

 非力な智秋がいくら清史郎を揺すぶっても、びくともしない。
 アルファが嫌いという智秋を清史郎が気遣うが、激昂した智秋は、彼に触れていることに気が付かなかった。

「少し、落ち着きなさい」
「そいつと別れて、兄ちゃんとヨリもどせ!」
「それは出来ない」
「なんで!」
「出来ないんだ。分かってくれ」
「分かんねえよ!」

 春海を思うと、憤りが抑えられなかった。
 きっと春海は別れをすんなり受け入れたはずだ。
 愛しぬいた恋人との別れ際、駄々をこねて困らせようなんて露ほども思わない。
 それなのに、弟の自分が、そんな兄の癒えない傷心に、塩を塗り込んでしまった。
 せめて罪を償うのが、清史郎を責めることしか出来ない自分が不甲斐ない。

「……智秋くんは、兄思いの、本当に優しい弟だ。春海が羨ましいよ」

 清史郎がぽつんと呟いた。
 その声に、智秋はようやく清史郎に触れていることに気がついて、ぱっと離れた。

「……俺は全然いい弟じゃない。兄ちゃんに甘えて、困らせてばかりだ」
「だが、春海は君を大切に思っている。それだけは分かってほしい」
「あんたに言われなくても、そんなの……分かってる……」

 智秋は深く呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

「……兄ちゃんとは、もう、口もきいてないのか?」
「彼は俺の秘書だ。会話は普通に交わしている。喧嘩別れではないからな。恋人でなくとも、彼が俺の特別な人であるのは変わらない」
「……なあ、聞いていいか?」

 清史郎は無言でかすかに頷いて、先を促した。

「あんたの好きな人って、一体、誰なんだ?」

 智秋の問いに、清史郎のポーカーフェイスが崩れた。

「もしかして、もう、そいつと付き合ってんのか?」
「……いや、告白すらしていない」
「あんた、そんなかっこいい見た目じゃん。告ったら、すぐ付き合ってくれるんじゃね?」
「君には関係ないことだ」
「関係なくない! 俺の兄ちゃんを振ったんだぞ! 俺には聞く権利がある!」 
「……君だ」
「は?」 
「俺が好きなのは、君だ。智秋くん」




ランキングサイトに参加しています。
クリックしていただけると励みになります。
にほんブログ村 BL・GL・TLブログ BL小説へ
拍手をいただけると大変嬉しいです。




関連記事
Posted by麻斗結椛